2011年8月4 被災地報告
平成23年8月4日被災地訪問から感じたこと
今回は気仙沼から南下し石巻市の牡鹿半島まで訪れました。
気仙沼は報道では、あたり一面に瓦礫が広がり復興が進んでいない印象を持っていたのですが、現地に行ってみると道路は復興が進み、瓦礫は重機などで集められ山積みになっている状態でした。
回数を重ねているメンバーは瓦礫の山の様子に復興の進行を感じていたようでしたが、初めて被災地を目にする私は瓦礫の多さと津波の傷跡にただただ圧倒されるばかりでした。
横転している巨大な船、横たわる車、火災により焼けた瓦礫、さらに水産加工場からの腐敗臭が一面で漂っており、復興とよべる姿には見えませんでしたが、捜索済みの車にはOKと記されていて作業は少しずつですが進んでいるように思えました。
ただ重機や大型クレーンなど専門の機械などがまだまだ足りていないようにも思えます。
集めた後の瓦礫を処理する焼却炉などの処理問題も同時に復興の力を注ぐべきところなのではないかと感じました。
この辺りは被害状況が地形による高低差で大きな差がある印象を受けました。
気仙沼は報道では、あたり一面に瓦礫が広がり復興が進んでいない印象を持っていたのですが、現地に行ってみると道路は復興が進み、瓦礫は重機などで集められ山積みになっている状態でした。
回数を重ねているメンバーは瓦礫の山の様子に復興の進行を感じていたようでしたが、初めて被災地を目にする私は瓦礫の多さと津波の傷跡にただただ圧倒されるばかりでした。
横転している巨大な船、横たわる車、火災により焼けた瓦礫、さらに水産加工場からの腐敗臭が一面で漂っており、復興とよべる姿には見えませんでしたが、捜索済みの車にはOKと記されていて作業は少しずつですが進んでいるように思えました。
ただ重機や大型クレーンなど専門の機械などがまだまだ足りていないようにも思えます。
集めた後の瓦礫を処理する焼却炉などの処理問題も同時に復興の力を注ぐべきところなのではないかと感じました。
この辺りは被害状況が地形による高低差で大きな差がある印象を受けました。
石巻市東浜地区の東浜小学校と鮎川浜などがある牡鹿半島の避難所と仮設住宅を訪れました。
東浜小学校や鮎川の避難所で生活している方も今月中、または来月末には仮設住宅に移る事が決まっており、残り何組かのみ引き続き避難所で生活を続けているようでした。
避難所での集団生活から仮設住宅への動きがあるなか、仮設のニーズは場所によっても全く異なると思われました。
このあたりは山中に仮設住宅が立ち並ぶのをよく目にしました。
車が必須で、物資などは訪問販売のサービスもあるようです。
しかし現実はやはり必要なものはそれを買う資金だと思います。
牡鹿半島の港には漁船がおり、使用可能な港には船が繋がれていることが多く見られ、
漁業復旧に対するこの地域の熱意がうかがえました。
生計を漁業でたてていたこの地域も、漁業の復興が地域の活性化になり東北復興に繋がる道として、船の修理や維持していくために必要な造船所の復旧などに義援金や募金などの投入が必要なのではないかと思います。
東浜小学校や鮎川の避難所で生活している方も今月中、または来月末には仮設住宅に移る事が決まっており、残り何組かのみ引き続き避難所で生活を続けているようでした。
避難所での集団生活から仮設住宅への動きがあるなか、仮設のニーズは場所によっても全く異なると思われました。
このあたりは山中に仮設住宅が立ち並ぶのをよく目にしました。
車が必須で、物資などは訪問販売のサービスもあるようです。
しかし現実はやはり必要なものはそれを買う資金だと思います。
牡鹿半島の港には漁船がおり、使用可能な港には船が繋がれていることが多く見られ、
漁業復旧に対するこの地域の熱意がうかがえました。
生計を漁業でたてていたこの地域も、漁業の復興が地域の活性化になり東北復興に繋がる道として、船の修理や維持していくために必要な造船所の復旧などに義援金や募金などの投入が必要なのではないかと思います。
被災地に立ち寄りその地区のリーダー的存在の方とお話させていただくと、本当に様々な人がいることに気づきます。また逆に被災者サイドの警戒している空気も肌で感じましたし、それは多種多様な人々とボランティア団体が訪れていることからだとわかりました。
使えないゴミのような衣類を送りつけてくるボランティア団体。何百人体制で瓦礫を撤去しに来た団体。様々なボランティアの方法があるなか、いくつかの活動が寧ろ現地では不信や警戒心をあおっているケースもあるようです。
被災者側にも物資を制限する所や、貰える物は貰うという姿勢の所、自立に向けての考え方が様々だと感じました。それは元々の個人の考えの違いなのか、被災した事によってそのように変わってしまったのかはわかりませんが、
考え方の一つで今後の復興に大きく影響がでるのではないかと思います。
ただ与えるだけの支援だと被災者と支援側の対等な関係が築けないのではないかと感じました。お互いが前向きな姿勢になってこそ自立支援が出来るのではないだろうかと、被災地の方と交流と持って考えさせられました。
現状としてコンビニ、ファミリーレストラン、スーパー、大型のショッピングモールも営業しています。
買い物をする車で道路は渋滞しています。
しかし、その横に仮設住宅が立ち並んでいます。
瓦礫がそのままになっています。
家が崩壊して傾斜したままになっています。
日常の光景と被災の光景が混合しているように感じました。
被災地を訪れ必要な物は物資ではなく、やはり現実には仕事を再開する資金、街を建て直すための資金、そして復興に向けての熱意であると感じました。
ボランティア団体も、義捐金を提供された立場として、義捐金の使途を提示する必要もあると思います。
使えないゴミのような衣類を送りつけてくるボランティア団体。何百人体制で瓦礫を撤去しに来た団体。様々なボランティアの方法があるなか、いくつかの活動が寧ろ現地では不信や警戒心をあおっているケースもあるようです。
被災者側にも物資を制限する所や、貰える物は貰うという姿勢の所、自立に向けての考え方が様々だと感じました。それは元々の個人の考えの違いなのか、被災した事によってそのように変わってしまったのかはわかりませんが、
考え方の一つで今後の復興に大きく影響がでるのではないかと思います。
ただ与えるだけの支援だと被災者と支援側の対等な関係が築けないのではないかと感じました。お互いが前向きな姿勢になってこそ自立支援が出来るのではないだろうかと、被災地の方と交流と持って考えさせられました。
現状としてコンビニ、ファミリーレストラン、スーパー、大型のショッピングモールも営業しています。
買い物をする車で道路は渋滞しています。
しかし、その横に仮設住宅が立ち並んでいます。
瓦礫がそのままになっています。
家が崩壊して傾斜したままになっています。
日常の光景と被災の光景が混合しているように感じました。
被災地を訪れ必要な物は物資ではなく、やはり現実には仕事を再開する資金、街を建て直すための資金、そして復興に向けての熱意であると感じました。
ボランティア団体も、義捐金を提供された立場として、義捐金の使途を提示する必要もあると思います。
鷲北真由美