2016年3月13 被災地報告
平成28年3月13~15日 被災地訪問で感じたこと
主に被災地を訪問することと、東浜の豊島さんにお会いすることであった。石巻での2日間の活動の中で印象に残った二人について書きたい。
一人目は、14日の午前中に訪れた日和山で出会った男性である。私たちは日和山から津波の被害と復興状況を知るため、震災前の写真を見たり各々が知っている情報を伝えたりしていた。そこに、60~70代の男性が近寄ってきた。私たちと同じように支援活動へ来た方かと思っていたが、私たちが話をしていると震災当時の話を語り始めた。はじめは、門脇小学校に車がぶつかりガソリンに引火し火災が発生した様子や先生や子どもたちが日和山へ避難した話をうかがった。話を聞いていくと徐々に男性の震災体験が語られ始めた。男性の家は、門脇小学校から海方向へ約150m(指を指された方向から推測)くらいのとことにあったそうだ。家は津波によって全壊。家族間で津波が来たら日和山へ避難するという約束事があった。しかし、息子さんだけは子どものことが心配で家に戻ってしまい津波に流され亡くなられた。男性は洋服の内ポッケトからアルバムを取り出し、息子さんの写真や当時の被災状況の写真を見せてくださった。その時に男性の目から流れ落ちた涙が強く印象に残っている。男性は毎日日和山へ登りその後息子さんが発見された場所へ手を合わせに行くことが日課で、またこういう話をすることで自分の心の苦しさを解放させてくれるともおっしゃっていた。私たちは男性から「てんでんこ」という言葉を教えてもらった。これは、「てんでばらばらに」、津波が来たときは一人でも高台に避難し、決して戻ってはいけないということである。この言葉は私たちにとって日常生活の中でいつ起きるかわからない未曾有の事態についての「教訓」であるとともに、もう一度東日本大震災を自分事としてとらえなおし、緊急時の約束事や事前準備を家族で定期的に確認しなければいけないと考えさせられた。
二人目は、15日の午後に訪れた大川小学校で出会った男性である。私たちは活動の度にここを訪れている。震災の恐ろしさを想像し、ここで起きた出来事を様々な視点から考えさせられる場所である。また行くたびに変わる景色や雰囲気から「復興」についても考えさせられる。ここで感じたことは、福岡へ戻ってから撮った写真を使いながら伝えることが多い。私たちが到着したときには、一組の夫婦?が、いたのみでとても静かな雰囲気だった。私たちは慰霊碑に手を合わせ、いろいろなことを感じ考えながら行動していた。私たちが大川小学校にカメラを向けた時だった。「撮るんじゃない!やめろ!」という男性の怒鳴り声であった。ドキッとした。なんだかとても複雑な心境になった。写真を撮ることは大川小学校で被害にあわれた方や親族、関係者の気持ちを無視した行為なのか?この夫婦は親族なのか?私たちの振る舞いが男性に言葉を発せさせたのか?今でも心に引っかかるもやもやするものがある。二人がどのような人物なのかわからないが、おそらく大川小学校の関係者だと思われる。私たちの行為は彼らを傷つけたのは事実である。なぜ、あの時に声をかけてみようかと思ったのに一歩踏み出せなかったのかとても心残りである。もしかしたら、私も彼も今よりも一歩前へ進めたかもしれないと思うからだ。
震災が起きて5年が経った。今回訪れた石巻では、日本一の長さを誇る石巻漁港が完成し目に見える復興は進んでいるようにも思う。一方で、一人ひとりが抱えている震災体験は、目に見えない。子どもたちもここ1、2年、PTSDや荒れといったこれまで我慢してきたものが表面化しはじめていると言われている。年に1、2回の支援活動であるが、これまで出会ってきた人と再会する、訪れた地での新しい出会いを大切にしていくなかで、その人と真摯に向かい話し、語り合うことで、互いに前へ進むことができるのだと思う。
一人目は、14日の午前中に訪れた日和山で出会った男性である。私たちは日和山から津波の被害と復興状況を知るため、震災前の写真を見たり各々が知っている情報を伝えたりしていた。そこに、60~70代の男性が近寄ってきた。私たちと同じように支援活動へ来た方かと思っていたが、私たちが話をしていると震災当時の話を語り始めた。はじめは、門脇小学校に車がぶつかりガソリンに引火し火災が発生した様子や先生や子どもたちが日和山へ避難した話をうかがった。話を聞いていくと徐々に男性の震災体験が語られ始めた。男性の家は、門脇小学校から海方向へ約150m(指を指された方向から推測)くらいのとことにあったそうだ。家は津波によって全壊。家族間で津波が来たら日和山へ避難するという約束事があった。しかし、息子さんだけは子どものことが心配で家に戻ってしまい津波に流され亡くなられた。男性は洋服の内ポッケトからアルバムを取り出し、息子さんの写真や当時の被災状況の写真を見せてくださった。その時に男性の目から流れ落ちた涙が強く印象に残っている。男性は毎日日和山へ登りその後息子さんが発見された場所へ手を合わせに行くことが日課で、またこういう話をすることで自分の心の苦しさを解放させてくれるともおっしゃっていた。私たちは男性から「てんでんこ」という言葉を教えてもらった。これは、「てんでばらばらに」、津波が来たときは一人でも高台に避難し、決して戻ってはいけないということである。この言葉は私たちにとって日常生活の中でいつ起きるかわからない未曾有の事態についての「教訓」であるとともに、もう一度東日本大震災を自分事としてとらえなおし、緊急時の約束事や事前準備を家族で定期的に確認しなければいけないと考えさせられた。
二人目は、15日の午後に訪れた大川小学校で出会った男性である。私たちは活動の度にここを訪れている。震災の恐ろしさを想像し、ここで起きた出来事を様々な視点から考えさせられる場所である。また行くたびに変わる景色や雰囲気から「復興」についても考えさせられる。ここで感じたことは、福岡へ戻ってから撮った写真を使いながら伝えることが多い。私たちが到着したときには、一組の夫婦?が、いたのみでとても静かな雰囲気だった。私たちは慰霊碑に手を合わせ、いろいろなことを感じ考えながら行動していた。私たちが大川小学校にカメラを向けた時だった。「撮るんじゃない!やめろ!」という男性の怒鳴り声であった。ドキッとした。なんだかとても複雑な心境になった。写真を撮ることは大川小学校で被害にあわれた方や親族、関係者の気持ちを無視した行為なのか?この夫婦は親族なのか?私たちの振る舞いが男性に言葉を発せさせたのか?今でも心に引っかかるもやもやするものがある。二人がどのような人物なのかわからないが、おそらく大川小学校の関係者だと思われる。私たちの行為は彼らを傷つけたのは事実である。なぜ、あの時に声をかけてみようかと思ったのに一歩踏み出せなかったのかとても心残りである。もしかしたら、私も彼も今よりも一歩前へ進めたかもしれないと思うからだ。
震災が起きて5年が経った。今回訪れた石巻では、日本一の長さを誇る石巻漁港が完成し目に見える復興は進んでいるようにも思う。一方で、一人ひとりが抱えている震災体験は、目に見えない。子どもたちもここ1、2年、PTSDや荒れといったこれまで我慢してきたものが表面化しはじめていると言われている。年に1、2回の支援活動であるが、これまで出会ってきた人と再会する、訪れた地での新しい出会いを大切にしていくなかで、その人と真摯に向かい話し、語り合うことで、互いに前へ進むことができるのだと思う。
続木智彦