2013年6月25 被災地報告
平成25年6月25~26日 被災地訪問から感じたこと③
震災から2年が立ち初めて被災地に行ってきました。
最初は軽い気持ちで行ったのですが、初めてみる光景に正直信じられない気持ちになりました。こんなにも津波がくるのだろうか、ほんとにここまで津波が来たのだろうか。そんな疑問も町並みをみれば本当におこったのだろうなと思いました。震災から2年たってからしか、現状を見た事がなかったので、その当時は本当に悲惨だったのだろうと思いました。
大川小学校の被災地を見に行った時には、当時の悲惨さがすごく伝わってきました。海から4キロも離れているのにこんなにも学校の建物がぐちゃぐちゃになってしまうのだと、その時の子供たちの気持ちを考えるだけで本当に悲しくて、怖くてどうしようもなかっただろうと、考えるだけで心が凄く痛くなりました。
もっとちゃんと避難していればたくさんの命が助かったのにと。一つの判断だけでこんなにも多くの命を奪ってしまった、今後このような災害が起きた時にはちゃんとした知識を身につけて自分の命は自分で守らなくては行けない事を伝えて行かなくてはならないと思いました。
被災地から帰るタクシーの中では、その震災の日の出来事や、同僚の方が亡くなった事など、ここの場所がどんな場所だったのか、震災から2年が立ってどう変わったのかなど運転手のおじさんに色んな話を聞かせて貰いました。
帰り道も石巻で被害が大きかった所を通ってみると、まだまだ錆びた車の残骸も、壊れた家もそのままになっているし。土地には何もないし、結局2年たっても直せる所は早く直っているけれども、結局個人の家の人たちはお金がなければ何も出来ないのが現状なのだなと思いました。
車の中から石巻の風景を眺めていると、一人の男の子が元々自分の家があったであろう土地に立ってなんか作文なのかを読み上げている姿をビデオのようなもので撮影しているのが見えました。
2年たった今、何を思って撮影しているのだろうか。ここには僕の家がありました。大切な家族との思い出が詰まっている場所です。なんて様々な思いを胸に持って撮影しているのだろうなと思うと、震災から2年経ち正直自分たちの中では風化されてしまっているなか、今もなお苦しんでいる人がたくさんいる事に気づかされました。
最初は軽い気持ちで行ったのですが、初めてみる光景に正直信じられない気持ちになりました。こんなにも津波がくるのだろうか、ほんとにここまで津波が来たのだろうか。そんな疑問も町並みをみれば本当におこったのだろうなと思いました。震災から2年たってからしか、現状を見た事がなかったので、その当時は本当に悲惨だったのだろうと思いました。
大川小学校の被災地を見に行った時には、当時の悲惨さがすごく伝わってきました。海から4キロも離れているのにこんなにも学校の建物がぐちゃぐちゃになってしまうのだと、その時の子供たちの気持ちを考えるだけで本当に悲しくて、怖くてどうしようもなかっただろうと、考えるだけで心が凄く痛くなりました。
もっとちゃんと避難していればたくさんの命が助かったのにと。一つの判断だけでこんなにも多くの命を奪ってしまった、今後このような災害が起きた時にはちゃんとした知識を身につけて自分の命は自分で守らなくては行けない事を伝えて行かなくてはならないと思いました。
被災地から帰るタクシーの中では、その震災の日の出来事や、同僚の方が亡くなった事など、ここの場所がどんな場所だったのか、震災から2年が立ってどう変わったのかなど運転手のおじさんに色んな話を聞かせて貰いました。
帰り道も石巻で被害が大きかった所を通ってみると、まだまだ錆びた車の残骸も、壊れた家もそのままになっているし。土地には何もないし、結局2年たっても直せる所は早く直っているけれども、結局個人の家の人たちはお金がなければ何も出来ないのが現状なのだなと思いました。
車の中から石巻の風景を眺めていると、一人の男の子が元々自分の家があったであろう土地に立ってなんか作文なのかを読み上げている姿をビデオのようなもので撮影しているのが見えました。
2年たった今、何を思って撮影しているのだろうか。ここには僕の家がありました。大切な家族との思い出が詰まっている場所です。なんて様々な思いを胸に持って撮影しているのだろうなと思うと、震災から2年経ち正直自分たちの中では風化されてしまっているなか、今もなお苦しんでいる人がたくさんいる事に気づかされました。
ただ、今こうして被災地を見に行くという事は果たして良い事なのか、正直分からなくなりました。実際に私自信は地震も津波も経験してないし、その当時の事は、経験した人にしか分からないと思いました。
もし、自分が被災者の立場にたったら震災直後はたくさんのボランティアの方々が復興支援でがれきの片付けをしたり、支援物資をしてくれたりで本当に助かるのだと思いましたが、2年たった今でも復興支援という言葉を利用してビジネスしている人もみてきて、被災者の方々からすれば自分たちの悲惨な出来事を利用していると思う人もいるかもしれないと思うと何が私たちには出来るのか慎重に考えなくてはいけないと思いました。
今の私は、被災地を訪問して目で見たもの人から聞いた事を伝える事で、この出来事を風化しない様に伝えることしか出来ないと思うと自分の力不足に悲しくなりますが、今後何をする事が復興なのか、人のためになるのか考える事が大切だと思いました。
もし、自分が被災者の立場にたったら震災直後はたくさんのボランティアの方々が復興支援でがれきの片付けをしたり、支援物資をしてくれたりで本当に助かるのだと思いましたが、2年たった今でも復興支援という言葉を利用してビジネスしている人もみてきて、被災者の方々からすれば自分たちの悲惨な出来事を利用していると思う人もいるかもしれないと思うと何が私たちには出来るのか慎重に考えなくてはいけないと思いました。
今の私は、被災地を訪問して目で見たもの人から聞いた事を伝える事で、この出来事を風化しない様に伝えることしか出来ないと思うと自分の力不足に悲しくなりますが、今後何をする事が復興なのか、人のためになるのか考える事が大切だと思いました。
福田奈美子