2012年4月29 被災地報告
平成24年4月29日 被災地訪問から感じたこと
仮設住宅での「お茶っこ飲み」に参加するのは今回2度目で、当日、新幹線と在来線を乗り継いで、目的の仮設住宅の最寄り駅である曽波神(そばのかみ)という駅で下車しました。在来線の車窓から見る景色や、小さな待合があるだけの無人の曽波神駅の周囲は、私の実家のある四国の田舎に広がる田園風景と変わらない雰囲気で、太陽の光を浴び、草花が生き生きと輝いているのを見ると、のどかで平和な生活がずっと昔から続いているように思えました。前回伺ったのは比較的小規模な団地でしたが、今回参加した南境第7団地は世帯数がかなり多く、団地内に集会所も3ヶ所存在していました。住民の方もお互いを知らない人が多いような印象を受けました。お茶っこ飲みに参加された住民の方はやはり高齢の方が多かったのですが、1人で参加している小学生の男の子もいました。途中から他の子供たちも参加して一緒に遊んでいましたが、その様子を見て考えさせられることが多くありました。その子供たちの震災前の性格や家庭環境などを知らないため、本当のところは何もわかりませんが、震災が情緒や性格形成に大きな影響を与えているように感じました。震災後に攻撃的になる子供が多く、子供たちへの心のケアが必要であるという話はニュースなどでも聞いたことはありましたが、今後長期的に精神的支援が必要だと感じました。私ができることなんてほとんどありませんが、わずかでも被災者の方の気持ちが安らかになれる時間を作る手助けができればと思っています。
お茶っこ飲み終了後は被災地を見て回りました。以前と比べて街にはかなり活気が戻っているように思われましたが、高い壁を作って瓦礫を隠していたり、町から少し離れると震災後のままの状態の地域がまだまだ残されていました。また、1階は破壊されているが2階には人の住む気配を感じられる家もありました。大川小学校も、GW中ということもあり各地から多くの人が集まっていました。震災から1年が過ぎ、このように観光地化したり、倒壊した家々を一般の人に写真に撮られたりすることを、遺族やその家の持ち主はどう思っているのだろうかと複雑な心境になりますが、被災地から遠く離れた多くの人々がこの震災を忘れないように、また現状を知ることで少しでも復興が進む手助けになれば、と願ってやみません。
お茶っこ飲み終了後は被災地を見て回りました。以前と比べて街にはかなり活気が戻っているように思われましたが、高い壁を作って瓦礫を隠していたり、町から少し離れると震災後のままの状態の地域がまだまだ残されていました。また、1階は破壊されているが2階には人の住む気配を感じられる家もありました。大川小学校も、GW中ということもあり各地から多くの人が集まっていました。震災から1年が過ぎ、このように観光地化したり、倒壊した家々を一般の人に写真に撮られたりすることを、遺族やその家の持ち主はどう思っているのだろうかと複雑な心境になりますが、被災地から遠く離れた多くの人々がこの震災を忘れないように、また現状を知ることで少しでも復興が進む手助けになれば、と願ってやみません。
金香佐和