Smile With You TOP >> 被災地報告 >> 2012年1月9日 活動報告
2012年1月9 被災地報告
平成24年1月9日ヘルスケアプロジェクトから感じたこと
今回お邪魔した仮設住宅は90世帯ほどの規模のもので、もともと同じ地域に住まれている方が多くいらっしゃいました。震災前、近所に住まれていた方が多くいらっしゃるので、笑顔も多く会話も弾んでいました。ただその会話の中にもうちの孫は何人流された、うちの子供はまだ見つかっていないなど通常考えられないような会話もありました。もちろんそのように心に多くのつらい思いを抱えておられるのだとは思いますが、それをみんなで分かち合って助け合っているように見えました。
精神的にはぎりぎりのところなのではないでしょうか?しかし同じ経験・思いをした人たちがお互いを支えあって生きているのです。
自分もつらい思いをしているにも関わらず、近所の人の心配をし、助けている姿に感動と尊敬の念を感じました。
「ここ3日くらいあの人見かけてないね。今日の夕飯にでも誘ってみようよ。」
そんな会話は東京ではまずないのではないしょうか?他人にほんの少しの思いやりを持つ、優しさを分ける、今回お邪魔した仮設住宅にお住まいの方々は当たり前のように行っていました。東京に住んでいて最も足りていないと感じるものです。

現地の方々が帰り際に言ってくださっていたことがとても印象的で嬉しかったです。
「いつもいつもボランティアの人たちによくしてもらって私たちもお礼がしたい。大したことはできないけれど私たちが一人一つ何か作ってきたり買ってきたりしてボランティアの人たちをもてなしたい」
また、
「今日はきてくれてありがとう。たいしたお礼もできないけどこれを持って行って食べてね。」
と干し柿を冷凍したものを下さいました。

私の文章が拙いので情景が頭に浮かばないとは思いますがこれを読んだ方々に何かを感じて頂ければ嬉しいです。

少し話はずれますが去年の漢字として「絆」が選ばれました。絆が必要な世の中であることは間違いないと思います。絆を作っていこう、という意味の一文字であると私は捉えていますが、去年日本人の絆が見ることができた一年だという人も多くいます。本当にそうでしょうか?もう一度絆とは何か、自分たちに絆を語れる資格があるのかを誰もが考えてほしいと思います。
私たちが被災地に行き始めて7か月になります。最初の頃は被災地にも被災地に向かう高速のサービスエリアにも多くのボランティアの人がいました。
今回訪れた生徒の7割が津波によって亡くなってしまった大川小学校も以前は多くの人・メディアがいましたが、今回訪れたときは地元のナンバーの車しかありませんでした。
そのような現状はテレビでは報道されません。いつまでもボランティアに行くことが正しいことだとは言いませんがそのような状況を知っている人、知ろうと努力している人がどれだけいるのでしょうか?

大川小学校は川に面しています。この川を津波は上ってきたのですが、河口方面はこれまで通行禁止で見に行くことはできませんでしたが、今回訪れた時には通行可能になっていましたので向かってみました。そこには目を疑うような光景が広がっていました。本来大川小学校から海まで4キロほどの距離がありますが、私たちが目にした光景は大川小学校を通過して数百メートル進んだところは一面海でした。車のナビでは確かに陸地を表示しているのです。ところどころ家の残骸などが水面から頭を出していますが地面を見ることはできません。
地震により地盤が沈み土地そのものが消滅してしまったのです。家・家族を失っただけでなく住んでいた土地すら存在しなくなってしまったのです。仮に復興が進んでもそこに住んでいた人々は住む場所は二度と戻ってきません。
私もこのような状況を知らず恥ずかし限りですが、このような状況を知っている人がどれだけいるのでしょうか?
メディアの本来の役割とは何かを考えてしまいます。
実は私たちがこの日に医療相談会でお話した方々はこの土地のなくなってしまった場所に住まれていた方々です。
一面海の光景を目にしたとき、お話した方々の笑顔が頭に浮かびました。家族を亡くしてつらい思いをされている、など頭では分かっていたつもりでしたが全く分かっていなかったことを感じました。目の前に広がる光景とあの笑顔がどうしても結びつきませんでした。
なぜあのような笑顔でいられるのか、自分が同じ状況であればどうだろうか、なぜ同じ日本人でこのような思いをしている人がいるのか、答えは出ません。

私たちは何もできないかもしれません。ですが少しでも多くの人に何かを感じてもらいたいと強く感じざるを得ませんでした。
木部雅也