Smile With You TOP >> 被災地報告 >> 2012年1月9日 活動報告
2012年1月9 被災地報告
平成24年1月9日ヘルスケアプロジェクトから感じたこと
今回私たちは、石巻市小船越三反走の仮設三反走団地と石巻市北村字戸井場の仮設東北電子団地の二か所でヘルスケアプロジェクトを行ってきました。
現在の石巻市は平成17年に旧石巻市と6町(河北町、雄勝町、河南町、桃生町、北上町、牡鹿町)が合併してできた市です。今回訪問した仮設住宅は、旧河北町と旧河南町にあります。
私が二か所のうち、石巻市北村字戸井場の仮設東北電子団地(旧河南町)へ行きました。その仮設住宅には、旧石巻市の港の近く(中心地の1つ)に住んでいた人たちが数多くいらっしゃいました。自分の家(被災した家)の取り壊しや建て直しの申請は、旧石巻市役所でしか受け付けてくれず、仮設住宅での不具合(建付けが悪く隙間風が酷い等)の修理の申請などは旧河南町の役場でしか受け付けていないとおっしゃっていました。しかも、電話での問い合わせはほとんど受け付けてもらえず、直接窓口に行かないと話も聞いてもらえないともおっしゃっていました。同じ石巻市内であるにもかかわらず、震災にかかわる手続きが一元化されていないようでした。しかも、私が訪れた仮設住宅から旧石巻市役所までは20km近くあり、交通手段のない人達には大変な労力であると思われました。せめて近くの役場で話ができればいいのにとみなさんおっしゃっていました。また、建て直しが可能な地域なのかどうかや、それに伴う助成金の給付の話などの情報がきちんと管理されておらず、誰かが言っていたとか、噂で聞いたなどの情報で市役所まで確認しに行ったりと振り回されている感じを受けました。
震災から10か月ほど経過しているのに、国や県や市の復興計画などの大きな枠組みが決まっていないこと、それらの情報をしっかりと伝達できていないことが問題の根底にあると思われます。逆に言えば、震災の爪痕はそれ位大きなものだったのだと思います。そのような状況でもやはり、住民のみなさんが分かりやすくきっちりと判断できる情報を流すようなトップダウンによる組織作りが必要なのではないかと考えさせられました。
今回訪問した仮設住宅は、旧石巻市の港の近く(中心地の1つ)に住んでいた人たちが数多くいらっしゃいました。元々は知り合いでなくても、地理的に近い人たちの集まりであるため、会話の節々にローカルな地名が出てきて私には理解できないという場面が多々ありました。そういう関係性であるため、仮設住宅ではありますが、すでにコミュニティが形成されていると感じられました。そして、被災者であり、仮設住宅で苦労しているはずであるのに、非常に明るく生き生きと私たちに話をしてくれているのが印象的でした。やはり、人と人が繋がってできるコミュティがあると、笑顔が多くなり互いに支えあうことが出来るのかもしれません。
東京にいるとこのようなコミュニティの存在を感じることが少ないですが、本来必要不可欠なものなのではないか?と考えさせられました。
ヘルスケアが終了した後に、石巻歯科医師会の先生とお話をさせていただきました。石巻歯科医師会では口腔保健活動の一環として週に2回ほど仮設住宅をまわっているということでした。活動当初はお口の中のことの相談や歯磨き指導などのニーズが高くそちらに多くの時間を割いていたようですが、最近は相談の後のおしゃべりの方にニーズが移ってきている感があるので、時間の割り振りも変えているとお話しされていました。私たちの活動と比べることさえ気が引けますが、私たちも同じようなことを感じていました。
また、表向きは復興が進んでいるように見えるけれども、本当の意味では、まだまだ復興は進んでおらず、元の状態に戻るまでにこの先5年以上はかかるだろうともお話しされていました。そして、復興が進まない理由の一つに失業保険の問題があるとおっしゃっていました。実は石巻市内の中心部では雇用が少しずつ生まれてきているとのことですが、失業保険があるために被災者の労働意欲を削いでしまっているとのことでした。今回の震災で、失業保険は特例で期間延長を認めています。だから、その受給期間ぎりぎりまで仕事を探さずにいるというのです。全ての人達がそのようなことをしているとは思いませんが、その話を聞いて弱者を助けるための、社会保障が裏目に出ている典型的なパターンだと思いました。雇用が生まれて、労働をして、消費して経済がまわっていくことが復興につながるはずなのに、一番重要な労働の部分が抜け落ちているなんて本末転倒です。
確かに、今までと同じような仕事ではなかったり、給料が下がってしまったりという問題や根本的にまだ震災で受けた傷から立ち直れないという人たちもたくさんいるとは思います。しかし、津波被害のない中心地では、たくさんの人がショッピングを楽しんだりできるレベルまで回復しているように見えてしまうのも事実です。ですから、失業保険で生活を保障するのではなく、その財源の一部を就職支援のために使った方がずっと有意義な事ではないかと思えてしまいます。
つまるところ、行政制度が実際の生活と合っていないという事が復興の足かせとなっているとはないかと考えずにはいられませんでした。
北村良平