2011年8月22 被災地報告
平成23年8月22日被災地訪問で感じたこと
今回、初めて被災地を見てきました。震災から5ヶ月が過ぎ、東京で過ごしているとあたかも震災前の生活に戻ったかのように感じられる時があります。
しかし、瓦礫の山や、傾いたり横倒しになったままの家、骨組みだけが残ったビル、港から遠く打ち上げられた船、建物が全てなくなり黒々とした土が広がっているだけの所などを実際に目の当たりにすると、そんな錯覚は吹き飛び、あまりの被害の大きさに体が震える思いでした。復興のために自分が何かの役に立てないだろうかと思って来たものの、目の前の光景に呆然とするばかりで、ただ自分が今見ていることを忘れてはいけないと写真を撮り続けるしかありませんでした。
また、石巻市立大川小学校にも立ち寄りました。児童の約7割が津波の犠牲になったことはニュースで知っていましたが、実際にその現場に立つと、津波が襲ってきた時の子供達や先生のこと、生き残った子供や残された親のことを考えずにはいられず、いろんな感情が溢れて、胸が詰まる思いでした。
牡鹿半島東浜地区の災害対策本部長さんのお話も聞かせていただきました。将来をしっかりと見据えておられるという印象で、また長年暮らしてきた土地への愛情を強く感じました。8月20日の夏祭りを開催するまでの経緯を伺い、その土地への想いに、地方出身者である私も胸が熱くなりました。それが魂というものなのか、これがあれば必ず復興への道は拓けると感じ、逆に何か大切なものを頂いたような感じでした。
今回は直接的には何も出来ませんでしたが、自分自身が生で見たもの、感じたことを周りの人達に話すだけでも復興への道を少しは広くできるのではないかと思いました。帰りに解散した新宿の街の賑わいやイルミネーションの明るさを見て、これが同じ日本なのか、とつい数時間前に見ていた景色とのあまりの違いに言葉も出ませんでしたが、この震災を忘れず、それぞれがそれぞれの街で自分に出来ることを考えていてくれればと願わずにはいられません。
しかし、瓦礫の山や、傾いたり横倒しになったままの家、骨組みだけが残ったビル、港から遠く打ち上げられた船、建物が全てなくなり黒々とした土が広がっているだけの所などを実際に目の当たりにすると、そんな錯覚は吹き飛び、あまりの被害の大きさに体が震える思いでした。復興のために自分が何かの役に立てないだろうかと思って来たものの、目の前の光景に呆然とするばかりで、ただ自分が今見ていることを忘れてはいけないと写真を撮り続けるしかありませんでした。
また、石巻市立大川小学校にも立ち寄りました。児童の約7割が津波の犠牲になったことはニュースで知っていましたが、実際にその現場に立つと、津波が襲ってきた時の子供達や先生のこと、生き残った子供や残された親のことを考えずにはいられず、いろんな感情が溢れて、胸が詰まる思いでした。
牡鹿半島東浜地区の災害対策本部長さんのお話も聞かせていただきました。将来をしっかりと見据えておられるという印象で、また長年暮らしてきた土地への愛情を強く感じました。8月20日の夏祭りを開催するまでの経緯を伺い、その土地への想いに、地方出身者である私も胸が熱くなりました。それが魂というものなのか、これがあれば必ず復興への道は拓けると感じ、逆に何か大切なものを頂いたような感じでした。
今回は直接的には何も出来ませんでしたが、自分自身が生で見たもの、感じたことを周りの人達に話すだけでも復興への道を少しは広くできるのではないかと思いました。帰りに解散した新宿の街の賑わいやイルミネーションの明るさを見て、これが同じ日本なのか、とつい数時間前に見ていた景色とのあまりの違いに言葉も出ませんでしたが、この震災を忘れず、それぞれがそれぞれの街で自分に出来ることを考えていてくれればと願わずにはいられません。
金香佐和