2011年8月22 被災地報告
平成23年8月22日被災地訪問で感じたこと
今回初めて被災地を訪問しましたが、津波の被害の甚大さと、その破壊力に、ただただ唖然とさせられました。
1階が骨組みだけとなった家、その周りには基礎だけとなった建物の跡、流されてきた船もあちこちに残っていました。さらに、家や建物の上に車や観光バスが乗りあげているところがあり、その光景を実際に目の当りにすると本当に衝撃的で、津波の恐ろしさが身に染みてわかりました。
1階が骨組みだけとなった家、その周りには基礎だけとなった建物の跡、流されてきた船もあちこちに残っていました。さらに、家や建物の上に車や観光バスが乗りあげているところがあり、その光景を実際に目の当りにすると本当に衝撃的で、津波の恐ろしさが身に染みてわかりました。
とてもショックを受けたのは大川小学校でした。
津波は2階まで押し寄せたようで、1階の壁は無くなり、2階の床が大きく凸状に曲がっていました。校舎は小学校とは思えない状態で、想像を遥かに超えた被害でした。
全校生徒の7割が犠牲となったらしく、そのことを思うと、とてもいたたまれない気持ちになりました。
津波は2階まで押し寄せたようで、1階の壁は無くなり、2階の床が大きく凸状に曲がっていました。校舎は小学校とは思えない状態で、想像を遥かに超えた被害でした。
全校生徒の7割が犠牲となったらしく、そのことを思うと、とてもいたたまれない気持ちになりました。
回数を重ねているメンバーによれば瓦礫の撤去がかなり進んでいるとのことで、重機もたくさん投入されていました。瓦礫が一ヵ所に集められてとても大きな山になっており、瓦礫の山の上にも重機があり、さらに大きな瓦礫の山を作っているところがいくつもありました。
瓦礫は場所によってはまだまだ残っていてこれからも増える一方でしょうし、その集めた大量の瓦礫を処分するのにも、相当な手間と時間がかかるであろうことを思うと本当に気が遠くなる思いでした。
また、山積みにされた瓦礫は、被災者の方々にとっては単なる瓦礫ではなく自分の住んでいた家や大切にしていたものだということを考えると、とても複雑な思いになりました。
瓦礫は場所によってはまだまだ残っていてこれからも増える一方でしょうし、その集めた大量の瓦礫を処分するのにも、相当な手間と時間がかかるであろうことを思うと本当に気が遠くなる思いでした。
また、山積みにされた瓦礫は、被災者の方々にとっては単なる瓦礫ではなく自分の住んでいた家や大切にしていたものだということを考えると、とても複雑な思いになりました。
東浜の避難所を訪れた際に、避難所本部長さんの話を聞くことができました。本部長さんに被災したときのことや、これからの自立に向けたことなどを本当に熱く語っていただきました。また、私たちにとても気を使っていただき、本部長さんの言われた、人と人との繋がりを大事にしている、という言葉に胸が熱くなりました。
他のボランティア団体の方にも話を聞きましたが、まだこれからのことは模索している途中らしく、被災者の自立支援をするということの難しさ、大変さを感じました。
また、被災地から新宿に帰ってきたときに、すごくギャップを感じました。テレビでの被災地報道が少なくなる中、被災地とそれ以外の場所とではこんなにもズレが生じてしまうのかと気づかされました。
実際に被災地に行ってみて、まだまだ復興への道が険しいことをあらためて感じましたが、1歩1歩でも復興へと近づいているとも感じました。そしてこれからの復興を見ていきたいし、少しでも自立しようとする人の後押しをしていきたいとあらためて思いました。
また、被災地から新宿に帰ってきたときに、すごくギャップを感じました。テレビでの被災地報道が少なくなる中、被災地とそれ以外の場所とではこんなにもズレが生じてしまうのかと気づかされました。
実際に被災地に行ってみて、まだまだ復興への道が険しいことをあらためて感じましたが、1歩1歩でも復興へと近づいているとも感じました。そしてこれからの復興を見ていきたいし、少しでも自立しようとする人の後押しをしていきたいとあらためて思いました。
小林淳一